「権利」を行使するには互いの「思い」を大切に。らしいよ。
私たちは、あなたと情報を共有したい。
あなたと情報を共有していないことは、この部署全体の困り感に繋がる。
分からない時には会議の進行を止めてでも「分からない」と言って欲しい。
それが、部署全体の働きやすさにつながるから。
情報保障の原則
大学・大学院時代、わたしはノートテイクやパソコンテイクによる情報保障を受けていた。
わたしの通っていたところでの情報保障の原則は
該当授業の受講者は情報保障をしないこと。
だって、受講者には講義を受ける権利がある。
受講者は講義中に
頭を働かせたり
ノートを書いたり
他の受講生とディスカッションをしたりする権利がある。
通訳をすることで、その人の授業を受ける質が落ちてはいけない。
だから、該当授業の受講者以外に通訳をしてもらっていた。
職場では、「原則」なんて言ってらんないこともある
ただし、仕事となるとそんなこと言ってられない。
大きな会議に情報保障が付くことはあっても
小さな話し合い程度の会議や打ち合わせに通訳を派遣していてはキリがない。
幸いわたしの職場は基本的に手話ができる人が集まっているため
そのような小さな会議や打ち合わせの際には、各々が自分の意見を音声と手話を併用しながらコミュニケーションをとっている。
でもやっぱり、きこえる人にとって手話があると話したいことのすべてを話しきることは難しいことも多いんじゃないかと思う。
そういうとき、その会議の参加者に通訳を頼んでいいのか私が悩んでいたときに
上司がくれた言葉が冒頭の
私たちは、あなたと情報を共有したい。
あなたと情報を共有していないことは、この部署全体の困り感に繋がる。
分からない時には会議の進行を止めてでも「分からない」と言って欲しい。
それが、部署全体の働きやすさにつながるから。
だったのです。
「権利」を主張すればそれでいいのか
確かに今のご時世
「合理的配慮だ」
とわたし自身が声を上げることもできる。
まぁ、その場限りの役所だったり
そもそも動いてくれない場に対してはこれも大事だと思う。
でも、周りとの関係の中で働いていく中で
自分の権利ばかり主張するのもなんだか違う気がする。
そんな中で
一緒に働いている
しかも上司が
情報を共有したい
と言ってくれたことで
きこえないことを言い訳にしないで
わたしはやるべき仕事をちゃんとやっているだろうか。
と自問自答した。
あぁ。
わからなくても仕方がないとさらっと流してしまった仕事が
たくさん出てくる。
ここ最近は、なんでも、とにかく、「きく」
今更だけど。。。とも思いながら
今年度は部署内で一番の新入りだし
後輩が入ってくる前にと思って
最近のわたしはどんなに小さなことでもいろんな仕事を周りにきいて
一つ一つこなそうとするようになった。気がする。
「それくらい覚えてよ!」
「え。去年どうやって仕事してたの」
なんて突っ込まれながらも、わたしのペースで改めて1年目のような分からなさを発揮しております。
みなさま、ご迷惑をおかけしてすみません。。
思いの言語化って、実はあんまりしないかも。でも。。
仕事内容だけでなく
ちょっとした打ち合わせでも
私が手話の見える位置にいるか周りも確認してくれるし
もちろんわたしも見える位置に積極的に椅子を動かすようになりました。
まだ、手話をつけ忘れる人が出てもその場ではきき返せないんだけど
後からこっそり周りや本人にききに行けることが、増えた。と思う。
(前までは、周りが手話をしてくれなくなったら参加を諦めていたし
それが続くので見えにくくてもそのまんま。な受け身だったところはある)
当然のことみたいだけれども
周りも自分も「情報を共有したい」と感じているその思いを共有することが
お互いの安心感ないし生きやすさにつながる。
んです。きっと。
わたしだけが頑張っても周りだけが頑張ってもすれ違っちゃう。
一緒にいる人たちと、場だけでなく思いを共有できるように
思いを共有したいと思ってもらえるように
お仕事に励みます。そうします。