地図は苦手だけど、路線図は好きらしいよ。

わたしの忘備録。備忘録。。。

「言語は世界の限界である」らしいよ。

先週、我が家にこたつがやってきた。

学部生の頃からかれこれ6年近く欲しいと恋い焦がれていたこたつ。

ちゃんとソファに踏ん反り返って本を読みながらも入れるように脚が長いの。

もちろん短くすることもできるので

いつか畳のお部屋におこたを置きたいという願望も忘れておりません。

「家は自分だけの聖地」

なんて言うけれど、最近は聖地すぎて引きこもり願望が急上昇。

ちょっと困っているのは

こたつを導入してからというものの

目に見えて寝落ち率も急上昇していることでしょうか。

そんな11月中旬。

一気に寒くなってきましたね。

 

さてさて。

私には、枕元に置いているノートが二冊あります。

一冊は、日記。

もう一冊は、好きな本の好きな一節をただただ書き写しているノート。

どちらも小学生くらいから断続的に書いていて

最近は、継続しています。

(インテだったものの、わたしにも「日本語ができない」のレッテルがべったりと貼られた時代があったわけです。

毎日日記を書いては泣きながら直した日が・・・笑

もちろんそれだけではないけれども。)

 

かのアンネ・フランクも「アンネの日記」において

 

   だれもが毎晩眠りにつく前に

   その日1日の出来事を思いかえし

   何が良くて何が悪かったか

   きちんと反省してみるならば

   ひとはどれだけ崇高に

   りっぱに生きられることでしょう。

 

なんて仰っているわけだけれど

(まぁ、別に崇高でりっぱに生きたいなんて大それたことは思っていない)

1日の出来事をちょっと振り返ることで

ちょっとしたモヤモヤが晴れることが多いので

わたしは結構助かっています。

 

ウェトゲンシュタインの

「言語は世界の限界である」

っていう言葉の通り、言語化することで

自分の居場所が見えるような気がする。

仕事に対する愚痴であっても、書いて文字にしていく中で

自分に向いていること、向いていないこと

そんなものがふと俯瞰できるようになって落ち着く。

 

ここでいう「言語」は思考するツールという意味で使っているから

それが日本語である必要はもちろんなくて。

わたしは日本語の他に手話も使うけれど

手話で思考することも、(実は)あるらしい。

 

それは、院生時代のできごと。

あるゼミの中で、わたしは

大学時代に手話でインプットした知識を日本語でアウトプットできず

手は動くし頭の中でも言いたいことはまとまっているのにそれを表す日本語が見つからずに黙り込む

という事態に陥りまして。

ゼミの先生に

「ホントに手話で思考してきたんだね。。。」

と笑われ、ひたすら似ている日本語を探しては

指導教員が適切な日本語に置き換えてくれて説明をしたことがあったのです。

 

三島由紀夫は「文体は世界解釈の拠り所である」なんて言葉を残しましたが

思考ツールの言語もこの「文体」に含まれるのでしょうか。

 

ちょっと聴覚障害についてかじった人なら結構

「普通の学校で育って、第一言語は音声日本語」

っていう生育歴とわたしの聴力だけを見て

「日本語だけで思考をする人」

とわたしを位置付ける。

 

でも、そんな簡単な話ではなくて

「思考するツール」

はその時の環境によって随分と変わってくる。

 

そんなこんなで、日記で書記日本語で思考をしてスッキリできている最近のわたしの環境は

限りなく日本語なんだと思う。

 

でもそういうのって、思考している本人にしか分かり得ないことであって。

「〇〇だから××」

なんて先入観と自分の価値観に頼るのってこわいよなぁ。

「わたしだったらこうする」

じゃなくて

「あなただったらどうするか」

を考えるって、難しいけれど、大事なこと。

 

こんなことをうんうん考えながら書いて

ちょっとずつ世界を広げる

のが案外楽しい今日この頃です。

 

 

 

あ、そういえばね、先日インフルエンザの予防接種を受けまして。

あまりにも痛がっていたら、上司に

「注射で泣くオトナ、初めて見た」

と言われました。

あはは。

言われてから、泣いていることに気づいたよ。

とっても痛かったよ。。。