2017年も終わっちゃうらしいよ。
お久しぶりです。
長い長い修論の呪縛からひとまず解放されました。
なんとか、無事に提出したのです。
修論の執筆作業は、性格をよく表します。
ある人は、コツコツと。
わたしは、衝動的に。
ある人は、机に向かって。
わたしは、ソファの上で。
そうです。
昨年度、ソファの上で作業したあの日々にはちゃんと意味があったのです。
一人暮らしをするときには、まず、ソファを購入したい。
あわよくば、ソファの上で仕事をしたい。。。。
さて、そんなこんなで帰省してすぐに、補聴器の調整に行きました。
なんと、1年半ぶりの補聴器屋さん。そして、聴力検査。
この1年半
特に聴力が下がることもなく
特に補聴器が壊れることもなく
特にストックの電池がなくなることもなく
過ごしてきたのだけども
補聴器を装用し続けて生活するには、うるさすぎる。
でも、音がないと不安。
というわがままっぷりを発揮しながら調整してもらいました。
良い感じ。
私の耳ですからね。
つけ心地は大事です。
正直、購入してから一番のつけ心地じゃないかと自負しております。
補聴器屋さんに感謝です。
さてさて。
今年もいろんなことがありました。
いろんなことがありすぎて、正直自分自身でも整理できていません。
春にはふわっと終わりであり始まりである不思議な時間を過ごし
夏にはしれっと就活して
秋にはいそいそと働き
冬にはうんうんと論文を書きました。
やりたいことをやりきって
欲しいものは全力で欲しがって
「なんとかなる」と言いつつ周りに「なんとかしてもらう」
1年でした。
でも相変わらず
「あなた」の世界を知りたい。
のスタンスは変わらないでいると思う。
ある採用試験を受けるにあたって、わたしが情報保障の依頼をした時のこと。
その試験でわたしは、受付で補聴器の確認をされたり、本当にきこえにくいのかわからないからってその場で改めて「わからない」と自己申告するまでアナウンス原稿をもらえなかったり、(大学の大講義室なんていう大きな部屋だったのに!)面接に手話通訳をつけてもらえなかったりって経験をした。
面接にあたった部屋はたまたま狭くて反響の少ない部屋だったから良かったものの、ききとった内容が本当にあっているものなのか不安の中試験を受けることになった。
いやね、普通に試験を受けるだけでも不安になるのにききとれるのかなんていう健聴の人以上の不安をもって試験に臨む時点で平等じゃないよなって思ったり。
それに、なんでみんなのメガネは確認されないのに補聴器だけ確認されちゃうんだろうって。
ききとれないからって分かっているからあらかじめアナウンス原稿の配布をお願いしているのに、「きこえなかったら」言ってくださいってなんなんだろう。
いや、あんな広い教室で「わかりません」っていうの結構恥ずかしいんだよ。
結構音入ってたような気もするけど全部わかるなんて自信はもてないよ。
あぁ。きこえるかきこえないかの判断ができるんだったら最初からお願いしないんだけどな。
そもそも、「きこえる」ってどんな感覚なんですか。
それを切々に感じてポロポロ泣いたりした日もあったのです。
そしてこの前、中国から日本に留学してきている友人と話をしていた時のこと。
彼女がぽろっと
「学力や語学を見ないで中国人だからと〇〇ができないと決めつけられるのは悔しい。」
と言っていた。
そうなんだよね。
「わたし」を見ないで「わたし」の属性だけで何かを判断されたり実力を疑われたりするのってものすごく悔しい。
わたしの周りには、幸い「わたし」をみてくれる素敵な人で溢れている。
ポロポロ泣き続けるわたしに根気強く付き合ってくれる人がいる。
(この付き合い方、結果的にはとてもおもしろかった。)
わたしもそんな素敵な人たちを「あなた」として相手の世界を大事に大事にしていきたい。
4月からのお仕事も決まりました。
「あなた」の世界を知りたいよ。
を楽しんでいけそうなお仕事です。
プライベートでもちょっと冒険をしようと思っています。
正直こわくてしょうがないけど、これを乗り越えたらまた何かが始まるような気がしています。
わくわくしている気持ちも大切にしたい。
あと、やっぱり、思う存分甘やかされたいです。