地図は苦手だけど、路線図は好きらしいよ。

わたしの忘備録。備忘録。。。

てつがく。食わず嫌いしていたらしいよ。

6月から郵便料金が上がることに5月31日の夜に気づき

慌てて送らねばならない書類たちを郵便ポストに投函しました。

無事に届いてますように。

 

そういえば最近、テレビ電話先にもお腹の音が聞こえるらしく

(私には相手のお腹の音なんて聞こえない。ずるい。。。)

生活環境音には気をつけないといけないなぁと感じつつも

(一応寮生だから)

どうせ聴こえないし、とお風呂で人に会っても挨拶をしないという技を身につけつつあります。

(わざと視線をそらすのにも注意が必要なんだと学んでいる)

でも、談話室でテレビを見るときには消音にして字幕で見てます。

(やっぱり環境音に気づけないやつと思われるのはちょぴっとこわい。だけど大きいテレビで見たい)

 

本日の最高気温は28度で勿論半袖仕様となりました。

そんなこんなで毎日8時間睡眠をしないと生きていけない大学院生をしています。

 

以前も書いたんだけど、大学の図書館でアルバイトをしていまして。

教科書やら哲学書やらを配架しながらふと思ったのです。

 

 

 

なんで、「哲学」を「倫理」の授業で扱うんだろう。

 

 

 

いや、「哲学とは」なんていうたいそれた哲学を語る気は今の私にはさらさらないです。(考え出したら迷子になりそう)

でも、私の直感としては哲学って必ずしも倫理的じゃないと思うんですよね。

そんでもって、倫理って哲学的だと思うんですよね。

 

辞書で調べてみたけど

「倫理」・・・人として守り行いべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な基準となるもの。

「哲学」・・・人生・世界・事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。

 

ほら。

倫理ってあり方のひとつじゃないんですかね。。。

 

つまり

倫理→哲学 は成立

でもその逆の

哲学→倫理 は成立しないんじゃないかと。

 

まぁ、そもそも倫理の授業って何がやりたいのかさっぱりわからなくて基本的に爆睡していたし、

テストも「ま、普通に考えたらコレジャナイ?」くらいの当てずっぽうで解いて大体当たるという逃げ方をしてきたので

倫理=哲学=嫌い

となっていました。

大学の社会科学の講義も「哲学」って言葉が出てきた瞬間に虫酸が走って

ありとあらゆる手段を使って逃げました。

 

 

実際、本当はそんなに嫌いな理由もなくて。

哲学=なんか嫌

みたいな。そんな感じ。

理性なんかよりも直感の方がラクじゃない?

みたいな。

 

ただ、最近の私は

「なんで〇〇なんだろう」

の問いの答えを求めるべく

フレイレだってニイルだってラッセルだって読むようになったし

(まぁ、いいとこ取りしているだけなんだけど)

そもそも

「なんで〇〇なんだろう」

をぐるぐる考えることを結構面白いとさえ思うようになってきていて。

(ただ、時間があるだけなのかもしれない。お金はないけど。)

 

ある時ある人に

「わたし、哲学って嫌いなんですよねー」

って話したら

「そんなに常に哲学的な問いかけをしてくるくせに?」

と返されてしまったんですよね。

「なんで〇〇なんだろう。それはどうしてだろう。。。」

 

ばっかり言ってるらしいです。

最近の私。

まぁ、確かにそうかもしれないし

ちょっと「哲学」のこと食わず嫌いしてたのかも。

 

そもそも、

「なんで〇〇なんだろう」

って思ってさえいないのにただ偉人たちの言葉をひたすら並べられたって

「ふーん」

って感じだよな。と。

てか、思考なんて言葉で説明できるもんじゃなくない?

どうせ、後付けじゃろ。

って哲学って分野に対して感じてた。

 

でも、こんなにも自分の思考を言葉にできない現状を考えると

私の「倫理意味わからん」っていう偏見のせいで

6年くらい「哲学的」という言葉に対してアレルギー反応を起こしていたのは

ちょぴっともったいなかったのかもしれないです。

 

誰かの考えを押し付けられている気がしてたまらなかった倫理の教科書は

今読んでもやっぱり抵抗があるけど

自分が「なんで〇〇なんだろう」と思ったことを

同じように疑問に思って自分なりの考えを言葉にしている人の言葉を読んでいくのは結構楽しいもんなんじゃないかと気づくことができたよ。

っていうここ最近を過ごしているよ。

っていう生存報告でした。