地図は苦手だけど、路線図は好きらしいよ。

わたしの忘備録。備忘録。。。

さくらの開花が楽しみすぎて眠れないらしいよ。

さくらの開花が楽しみで楽しみで。

開花予想を見てはニヤニヤしている今日この頃です。

今年は東京でも兵庫でもお花見ができそうなのです。

さくらといえば福田洋介さんの「さくらのうた」が印象的でこの時期の私の頭の中でエンドレスリピードしております。

 大学時代に卒業式の式典演奏を2回ほど経験しまして、

送り出す側で演奏したのがこれ。

福岡では卒業式にさくらはまだ蕾で咲いていなくて、入学式の時には散り始めていて

仙台では入学式にさくらはまだ蕾で咲いていないんだけど

さくらってなんとなく卒業だとか入学だとかってイメージがあるのです。

 

さてさて。

明日は、私が大学時代一番お世話になったと言っても過言ではないある女の子の卒業式なのです。

彼女が小学6年生、私が大学2年生からのおつきあいです。

 

彼女と私の出会いは、その年の夏。

学習支援ボランティアの場で講師と生徒っていう立場で。

 

ボランティアとか支援って「何かをしてあげる」ようなイメージがあるけど

だいたい「してあげる」って思っている時は空回りしているんじゃないかな

っていうことをこの子ともう一人の女の子から学んだのが私の学部時代の大きな財産。

 

ただ単純にこの子とお話ししていることが楽しいのです。

私が。

学校でちょっと自信を持てたり、嬉しそうに部活の話をしてくれたり

そんな話を聞くと私まで嬉しくってニコニコできるし

聴こえないことで嫌な思いをした時は

一緒に怒って泣いて。

彼女の嬉しいや悲しいは私も嬉しくて悲しいし

私の嬉しいや悲しいにも全力で喜んでくれたり怒ってくれたりする。

そんな日常をこの子と過ごしてきたのです。

 

正直、私が彼女を支援したなんて大げさなことはなくて

ただ出会いの場がその「ボランティア」っていう場だった。

ただそれだけのことだったのです。

でも、私は彼女から得たものがたくさんあるし

きっと彼女も私との時間の中で得たものがちょぴっとでもあったらいいなぁと思っている。

いや、なかったら申し訳ないから全力で彼女と向き合ってきた。つもり。

 

学部時代に受けていた情報保障も

私が在籍していた大学では全てボランティアで行われていました。

空きコマを私の講義のために使ってくれているわけでしょ。

いい思い出を作って帰ってもらいたいなって思いながら4年間情報保障を受けてきた。

「あぁ、伝わったのかな。ちゃんと書けていたかな」

って毎回しょんぼり帰られるのは嫌だし

それなら

「うっしゃ!今日もテイクやったぜ!」

くらいの気持ちで帰ってもらいたかったし

支援学生と利用学生でありながらも、

出会った場は情報保障の場であっても、

一つの大事な出会いの場として大事に大事にしてきた。つもり。

 

ある時は支援者といわれる立場に

ある時は利用学生と言われる立場に

常に立ち続けていた4年間。

 

「大学生だしとりあえずボランティアを」

だとか

「単位のためのボランティア」

だとかってみんなきっかけはそれぞれだと思う。

それでいいと思う。

 

「ボランティア」が

「してあげるもの」でも「されるもの」でもなくて

同じ興味を持った人が集える一つの手段だと思えれば

どう出会ったかじゃなくてそこでどんな関係を築けたか

が私の世界を変えるんだなってことを教えてくれた大事な彼女の卒業式が明日に控えているのです。

 

彼女はどんな高校生になって、どんな人になっていくのだろう。

久しぶりに、顔を見てゆっくりとおしゃべりしたいなぁ。

あぁ、早くさくら並木をゆっくりとお散歩したいなぁ。

 

 

久しぶりに講義に手話がついたらしいよ。

コロボックル物語佐藤さとるさんがお亡くなりになり

ミッフィーディック・ブルーナさんがお亡くなりになり

おかあさんといっしょのだいすけおにいさんが卒業を発表した先週の木曜日。

慣れ親しんだものってこんなにもあっけなくいなくなっちゃうものなのか

と驚かされたのでした。

そういえば、保育園のバイトを辞めてからおかあさんといっしょ見なくなったなぁ。

もう、ブンバボンおどれないかも笑。

 

そんな先週はやっと関西に戻ってきて、早速集中講義があったのです。

大学院生活、最初で最後になるであろう聴覚障害分野の講義。

しかも、講義中先生が手話も交えながら講義をしてくださるという恵まれた環境での講義を受けたのでした。

講義中にみんなと同じ瞬間に笑えて、同じ瞬間に驚けるってこんなにも楽しいんだったね。

普段は情報保障もあるし、講義の内容が入ってくるからそれで十分だと思っていたけど

やっぱりみんなと同じ場を共有しているんだなっていう実感はすっかり忘れていたのかも。

 

友人に、

「あぁ。確かにあなたって孤独な感じで授業受けてるのか」

って言われたんだけども、テイカーさんがいる以上なんだか孤独っていう表現はまた違くて。

やっぱり日々のなんでもない会話こそどんな情報があふれているのか知りたかったりするんだよね。

みんなと同じ瞬間に、自然に感情を動かしたい。

面白い、楽しい、嬉しい、つまんない、怒り、悲しみ。。。

 

講義では、見えない人に見える世界をどうやって表現するかっていうワークショップをした。

スクリーンに映される画像を言葉で表現するんだけど

普段見えている世界をすべて言葉で表現するのは案外難しくて。

そのとき思い出したの。

聴こえる友達と出かけるときに、

「今、こんな放送がなっていたよ。」

「今、そこの外国人と職人さんがこんな会話をしていたよ」

って教えてくれたことを。

私の世界にはなかった音情報を知ることで、

モノクロだった世界に色が付くっていうそのイメージがなんだかしっくりくるなぁって。

マンガの吹き出しみたいっていう表現もあるみたいだけども

色が付く感じ。

静止画が動画になったような感じ。

あぁ、私の頭の中を説明できるような言葉をもっと知りたいよ。

 

そこに本当はあるのに、自分が気付かなかった世界を教えてもらうときほどワクワクする瞬間ってないよなぁ。

学部の頃の私は、正直自分の気づけなかった世界を知った時に

「あぁ、私ってこんなことも知ることができなっくって損してるな」

って思ってた。

でも、最近は知らなかった世界を知ることが単純に嬉しくて嬉しくて仕方がない。

多分ね、わたしが知っていて相手の知らないわたしの世界を

わたしが言語化して表現できるようになったからなんだろうなって思うの。

前までは、わざわざ自分に見えているものを言葉にすることなんてあんまりできなかったんだけど

いろんな人に出会って、自分の状況を説明するようになって、自分の中の当たり前は決して相手にとっても当たり前ではないんだってことを少しずつ学んでいるような気がするのです。

「聴こえない」を認めてそれを説明することができるようになって、生きやすくなったというかいろんな考え方に目を向けられるようになったのが幸せだ。

私が考えている間ちゃんと待っていてくれて、やっと見つけたことばを受け取ってくれる人がいるってよいねぇ。

 

さてさて、その先生が講義の最終日になんで講義中に手話をしていたのか教えてくれた。

聴覚障害児には、こんな配慮が必要っていう当の本人が

聴覚障害学生になんの配慮もしていなかったら、説得力がないでしょ」

だって。

まぁ、なんとシンプルな回答。

 

最近、研究で毎週のようにとある学校へ通っていて

その様子をエピソードに描き起こしている。

お子さんたちが可愛くて可愛くてしょうがないし、

先生方のかかわりから学ぶことがありすぎて

早く現場に出たくなった。

研究で何が大事なのかちゃんとことばにする練習をして

ことばにするだけじゃなくてちゃんと現場でそれを活かせるようになれればいいなぁ

なんて思いながらここ最近の自分を振り返っていたのでした。

 

そいえば最近、生まれて初めて肩がこるという現象に悩まされているのですが

解消する方法をご存知の方教えてください。。。

首がむくんでる気がする。。。

 

 

 

23歳になっちゃったらしいよ。

法事ついでに、しばらく東日本に居座ることにしたらしいよ。

仙台は相変わらずどこにどんなお店があるかわかっているから歩きやすいし

仙台駅を歩けば知り合いとばったり会うことができる。

トーキョーの実家では妹とアホみたいな話で2.3時間盛り上がれる。

相変わらず私の生活は、毎日楽しいです。

 

昨日、2月8日をもってついに23歳になってしまいました。

23歳といえば、私の母が私を産んだ歳であって

23歳のお誕生日の時点で母はすでに私を身ごもっていたようですが

まぁ、私はそんなことありません。

まず第一に学生だし。

定職にもついていない。

 

結婚願望はないわけではないし

好きな人とただ一緒にいたいだけ

その人と一緒にご飯を食べたい

そう言えるような相手と一緒にいられたらいいなあとは思っている。

子どもだって欲しいなぁと思う。

でも、焦ることでもないかなぁとも思うのです。

 

ひいおばあちゃんの時代、最終学歴は女学校だったし

10代で子どもを産むことが普通だったしそれはお見合いだった。

おばあちゃんの時代、最終学歴は高等学校だったし

うちは恋愛結婚みたいだけど、世の中ではまだお見合いが一般的だったしまぁ成人くらいが結婚適齢期だった。

母の時代、というか私の母は短大卒でハタチから働いていたし、

ま、23で子どもを産んでもおかしくはないかも。

さて、私はというと23でも学生をしている。

 

親が○○歳で出産をしたから私もそろそろ焦っちゃう

なんていう声も聞くけど

よくよく辿ってみればどの世代も結婚や出産の「普通」は異なるわけで

そんなに縛られなくても良いかなあと思うのです。

私にとってタイミングの良い時にその時私も相手も

あぁ、一緒にいたいな

と思う人と一緒になれたら良いなあと。

(あぁ、こんなことを言ってると一生夢だけ見ていて結婚できないかもしれない笑。)

 

そういえば、去年のお誕生日は葬儀社で迎えて

生まれた時間は火葬場で過ごしたのです。

あんなに濃い誕生日はもう2度とやってこないと思うのだけど

おばあちゃんはいつも言っていた。

「誕生日は、家族と過ごしなさい」

「人には謙虚にね。人との出会いを大切にね」

最後の最後に、私は親戚中にお誕生日を祝ってもらったんだった。

そして今年は、トーキョーの実家でお誕生日を迎えてみた。

家族と一緒にね。

何よりも

今自分にとって一番大事だと思うことを全力でやりたい。

 

。。。。。

課題に追われてる。

家族臨床心理学とか読んでるからこんなこと考えちゃうんだ。

つまり、期末課題を持ってトーキョーに来てしまった。

さて、やる・・か。

今年も2月最初の金曜日がやってきた。らしいよ。

あっという間に1月が終わって2月になってしまったよ。

無事に題目発表会も終えて、研究対象校の観察も始まって

1日が24時間じゃ足りない生活が続いているのです。

楽しいけどね。

 

今回は本当に本当に私が勝手に

忘れないでとっておきたい1日のお話。

 

今日は節分。

去年の節分は、おばあちゃんが好きな白松の節分の和菓子とジョアンのおさるさんの顔をしたパンを買って家に帰り、ささやかな節分をしたんだ。

節分って1年の無病息災を願う日でしょ。

あの頃のおばあちゃんは、新しく始めたお薬がどうやら身体に合わなかったようで毎日気怠そうにしてて。

でも、私が朝学校に行く時と夜帰ってくるときは必ずリビングにいてくれて

朝は「忘れ物はない?」と一言かけてくれて

夜は、私の作った夜ご飯をちょっぴり横取りして、

そのあとほうじ茶やコーヒーを飲みながら

他愛もない話をする日々を過ごしていた。

和菓子ってあんなに小さいのに、

おばあちゃんはそれも1日では食べきれずに亡くなった日の朝までかけて丁寧に食べていた。

 

今日は節分でもあるけど、2月最初の金曜日。

去年の2月1週目の金曜日、私の大好きなおばあちゃんが亡くなった。

つい昨日のようにあのめまぐるしい1日を思い出せる。

 

朝、バイトに行く前にリビングに行ったらおばあちゃんがいなかった。

ベッドに行くとおばあちゃんは

「今ね、夢を見たの。

あなたに買ってもらった杖を持って新幹線に乗って旅に行ったんだ」

って一言。

おばあちゃんは旅が大好きで新幹線が大好きで、

私はそのあたり全部受け継いだみたい。

朝から保育園でバイトして、午後はゼミしに大学に行って、夜はカテキョに行った。

いやー、バイト戦士だった笑。

でも、朝リビングに起きてこなかったおばあちゃんが心配で、その日は走っていつもより1本早い地下鉄で家に帰った。

 

帰ったら、おじいちゃんだけがリビングにいて

おばあちゃんはお風呂に入っていた。

あがってきたら一緒に食べようと思って、私は焼うどんを作った。

普段はなんだか食べたくなくて入れないような葉のもの野菜とかもたっぷり入れて。

「あなたがこんなに野菜食べるなんて初めて見たわ」

っておばあちゃんはきっと笑ってくれるだろうと、そんなことを考えながら。

9時40分頃、私は包丁で指をちょっと切ったの。

あー、慣れないことしたからだなあとか思いながら苦笑してた。

そしたら、遠くからおじいちゃんの声で

「まり!まり!」って騒いでいる声が聞こえて。

私もおばあちゃんも、「まり」から始まるからまあ、私のことではないだろうと無視していたんだけどおじいちゃんの声は大きくなるばかり。

とりあえず焼うどんをお皿に盛り寄せてお風呂場に行ったら

ぐったりして息をしていないおばあちゃんがおじいちゃんに抱かれていた。

 

なんでかあの瞬間は冷静だった。

聞き取れる人が出るか心配になりながらも119番に電話をして

消防隊の方の指示を聞きながら心臓マッサージをした。

スピーカーホンにすると私には聞き取れない声で

最大音量にして電話を耳に当てながら。

 

消防隊の人はすごい。

「今、〇〇のあたりを走っているよ」

「ちょっと疲れてきたよね。でも、頑張って。すぐに行くからね。」

「今、家の前に来たよ。」

一生懸命教えてくれた。

 

消防隊の方と一緒に、救急車に乗って病院へ行った。

おじいちゃんはなぜか家を片付けてから病院に行くと言って、乗車直前で家に戻った。

私のiPhoneは1日使ってたから使い物にならなくて、おばあちゃんのiPhoneから実家に連絡をした。

いつもはあっという間に着くはずの病院がやけに遠かった。

病院に着くとおばあちゃんは集中治療室へ行き

私は一人になった。

どうしたらいいかわからなくって、ただ怖くて泣いた。

看護師さんやお医者さんが説明に来るたびに涙は止まって、お話は聞けたんだけど。

結局おばあちゃんはそのまま息を引き取った。

最後に、延命措置を断ったのも私だ。

だって、なんだか苦しそうなお顔に見えたんだもん。

 

あぁ、せっかく1本早い地下鉄で帰ったんだし

焼うどんを作る前にお風呂場に様子を見に行けばよかった。

でも、大好きなお風呂で亡くなったんだし

苦しんだわけでもなかったとお医者さんは言っていたし

もう気怠さと付き合わなくていいんだからよかったのかな。

なんてことをぐるぐる考えながら、群馬から家族が駆けつけるまでの5時間くらい病室で(なぜか霊安室じゃなくて、個室に通された)おばあちゃんと二人きりで過ごした。

 

そんな1日だった。

 

今日も、私は急いで仙台のお家に帰るよ。

命日よりも2月最初の金曜日にこだわってしまう私がいるから。