地図は苦手だけど、路線図は好きらしいよ。

わたしの忘備録。備忘録。。。

久しぶりに講義に手話がついたらしいよ。

コロボックル物語佐藤さとるさんがお亡くなりになり

ミッフィーディック・ブルーナさんがお亡くなりになり

おかあさんといっしょのだいすけおにいさんが卒業を発表した先週の木曜日。

慣れ親しんだものってこんなにもあっけなくいなくなっちゃうものなのか

と驚かされたのでした。

そういえば、保育園のバイトを辞めてからおかあさんといっしょ見なくなったなぁ。

もう、ブンバボンおどれないかも笑。

 

そんな先週はやっと関西に戻ってきて、早速集中講義があったのです。

大学院生活、最初で最後になるであろう聴覚障害分野の講義。

しかも、講義中先生が手話も交えながら講義をしてくださるという恵まれた環境での講義を受けたのでした。

講義中にみんなと同じ瞬間に笑えて、同じ瞬間に驚けるってこんなにも楽しいんだったね。

普段は情報保障もあるし、講義の内容が入ってくるからそれで十分だと思っていたけど

やっぱりみんなと同じ場を共有しているんだなっていう実感はすっかり忘れていたのかも。

 

友人に、

「あぁ。確かにあなたって孤独な感じで授業受けてるのか」

って言われたんだけども、テイカーさんがいる以上なんだか孤独っていう表現はまた違くて。

やっぱり日々のなんでもない会話こそどんな情報があふれているのか知りたかったりするんだよね。

みんなと同じ瞬間に、自然に感情を動かしたい。

面白い、楽しい、嬉しい、つまんない、怒り、悲しみ。。。

 

講義では、見えない人に見える世界をどうやって表現するかっていうワークショップをした。

スクリーンに映される画像を言葉で表現するんだけど

普段見えている世界をすべて言葉で表現するのは案外難しくて。

そのとき思い出したの。

聴こえる友達と出かけるときに、

「今、こんな放送がなっていたよ。」

「今、そこの外国人と職人さんがこんな会話をしていたよ」

って教えてくれたことを。

私の世界にはなかった音情報を知ることで、

モノクロだった世界に色が付くっていうそのイメージがなんだかしっくりくるなぁって。

マンガの吹き出しみたいっていう表現もあるみたいだけども

色が付く感じ。

静止画が動画になったような感じ。

あぁ、私の頭の中を説明できるような言葉をもっと知りたいよ。

 

そこに本当はあるのに、自分が気付かなかった世界を教えてもらうときほどワクワクする瞬間ってないよなぁ。

学部の頃の私は、正直自分の気づけなかった世界を知った時に

「あぁ、私ってこんなことも知ることができなっくって損してるな」

って思ってた。

でも、最近は知らなかった世界を知ることが単純に嬉しくて嬉しくて仕方がない。

多分ね、わたしが知っていて相手の知らないわたしの世界を

わたしが言語化して表現できるようになったからなんだろうなって思うの。

前までは、わざわざ自分に見えているものを言葉にすることなんてあんまりできなかったんだけど

いろんな人に出会って、自分の状況を説明するようになって、自分の中の当たり前は決して相手にとっても当たり前ではないんだってことを少しずつ学んでいるような気がするのです。

「聴こえない」を認めてそれを説明することができるようになって、生きやすくなったというかいろんな考え方に目を向けられるようになったのが幸せだ。

私が考えている間ちゃんと待っていてくれて、やっと見つけたことばを受け取ってくれる人がいるってよいねぇ。

 

さてさて、その先生が講義の最終日になんで講義中に手話をしていたのか教えてくれた。

聴覚障害児には、こんな配慮が必要っていう当の本人が

聴覚障害学生になんの配慮もしていなかったら、説得力がないでしょ」

だって。

まぁ、なんとシンプルな回答。

 

最近、研究で毎週のようにとある学校へ通っていて

その様子をエピソードに描き起こしている。

お子さんたちが可愛くて可愛くてしょうがないし、

先生方のかかわりから学ぶことがありすぎて

早く現場に出たくなった。

研究で何が大事なのかちゃんとことばにする練習をして

ことばにするだけじゃなくてちゃんと現場でそれを活かせるようになれればいいなぁ

なんて思いながらここ最近の自分を振り返っていたのでした。

 

そいえば最近、生まれて初めて肩がこるという現象に悩まされているのですが

解消する方法をご存知の方教えてください。。。

首がむくんでる気がする。。。