文明人にはすぐになれても、文化人にはなかなかなれないらしいよ。
昨日は1月16日。
昨年の昨日、卒論を提出したんだった。
「研究室オールとか憧れる!」ってずっと言っていたのに、
結局提出直前に熱を出して早めに仕上げて、
当日ものんびりと提出したんだった。
構想発表前も中間発表前も風邪をひいて声が出なくなっていたし、
キャラに似合わずとても本番に弱い。
9月の学会なんか、前日に貧血で倒れてしまったんだった。
昨夜、周りが「1月16日は卒論、修論提出日だったなあ」なんて感慨深そうなツイートをしていたけど
私はそこまで感慨深くなることもできずに
「ああ、研究室オールしたかった。。」
なんて思っていた。
(年末にヒョーゴで実現したのだけども、あれは私の論文ではない。)
でも、今日になってやっぱりなんとなく卒論が気になってきてしまった。
というか、机を開けたら去年の最終発表会の抄録集が出てきたからとりあえず開いてみただけなんだけど。
相変わらず、言語コースの先生方のお言葉は私を原点に帰らせた。
卒業論文は何のためにあるのか?
自分や現実世界と向き合って納得して生きる知性を獲得して
探求する主体性を取り戻すんだって。
あの頃の私は
研究対象だったあの子が生きやすくなるために、
なんて大義名分をはたいていたけど
結局は、今までの自分自身を振り返って泣いたり悩んだり落ち込んだりしながらぐるぐると悩み続ける1年だったなあ。。。なんて。
きこえない世界ときこえない世界の宙ぶらりんだった自分がとても嫌いだったけど
どちらの世界もいいところあるんだな、なんて思えたり。
相変わらず私は宙ぶらりんなんだけども。
毎日の生活でいろんなことが起こる。
この1年も然り。
同じような生活の連続に見えても、新しい出会いはたくさんあったしこれからもあると思う。
初めてヒョーゴで寮生活を始めたことからも
全然知らなかった分野の修論をお手伝いしたことからも
保育者養成校出身の2人と同期になれたことからも
昨日、図書館の入り口に職員さんが可愛い雪だるまを作っていたことも
私にとってはちょっとしたニュースの連続になった。
新しい出来事(New)。
小さな街の片隅で起きているこのニュースは、
どんな政治ニュースにも引けを取らない大きな価値があるんだって。
教育で積み上げられていくこのニュースが、新しい時代を作っていくんだって。
文明人にはすぐになれても、文化人にはなかなかなれないらしいよ。
ツールを持てば、誰でも「文明人」にはすぐになれる。
けど、「文化」はなんだかんだいって面倒臭いことの積み重ねだし長い歳月を費やした自問自答が必要なんだって。
あー、また1年修論執筆に向けて自問自答していくのか。
自分の今までだったり、自分の価値観だったりとぶつかっていく作業も
その中でちょっとしたニュースに出会っていくのも
それらを通して誰かと議論をしたりするのも
たぶんそこまで嫌いじゃないから院まで来たんだろうけども。
でもやっぱり、逃げたいよ。
今も笑。
金曜日が題目発表だから余計に。
さてと。
たまーに、初心に帰って言語の先生方からのお言葉に立ち返っていこうっと。